



今日は 午後から 雨が ちらほらで 幾分 暑さも
やわらい で おります。
昨日の 午後の バスハイクでの 写真です。
昭和新山を通って 湖畔 足湯 アイスクリーム の 順で
実習生さん お二人も 同行 しました。
温泉 気分を 足元 だけ でも 皆さん 味わって もらい
温まった そのあとは アイスクリームでクールダウンです。
複数 事業者(施設) 合同 研修が いよいよ 来月から 始動
することとなり 平成22年度で 6回 1クールの 各テーマ別で
実施することと 予定していますが 第一回目は KD-1 調査
に よる (人格 能力 診断) 関連 研修ですので その 回答
用紙 が 送付 されて きました。
質問が 60項目あり 回答 は 五択から 一つを 選択 する
ことに なっています。
個別の 判定は 研修後に なりそうですが
やはり 気には なりますね。
日本 の ロック・フォーク (六十・七十年代)の
ベストアルバム100 が レコード コレクターズ(月刊誌)で
特集記事として 掲載されていますが 一位から十位までの
TOP 10 内ほとんどのレコードは 売れていなかった モノ
( L P レコード ) ばかり です。
内容や 現在までの歴史に おいて 重要であった名盤である
ことは 事実ですし 内容も 優れものであることは保証します
が 発売 当時は マニア 向け なり 愛好者 のみで
後付けで 評価された もの ばかり だと 思います。
一位の ハッピーエンド の 「風街ロマン」 で さえ
URCレーベルでしたので 当時 室蘭のレコード店で
購入しようと 店長に 尋ねたら うちは URC 関係
(アングラレコードクラブ) は 取り扱って いないと
はねられ あとの数店舗 も 同じでした。
全国 地方 都市の 現況は 同じような 状況で あったと
思いますし 七十年代 中間ぐらいまでは 実際に 新宿の
某店舗で レコードを 売っていましたから セールス的には
マイナー 路線 ばかり で 占めているのがよくわかります。
♪時計をとめて♪ 草間ルミ さん
売れ なかった けれど 良い歌 です。
キャニオンレーベル も ♪およげタイ焼きクン が 大ヒットする
前でしたので 経営的にも 苦しかった時期で あまり宣伝活動
(キャンペーン) には 力 を 入れていませんでした。元 歌 は
前出の日本の ロック フォーク ベストスリー内の ジャックスの
歌です。早川よしおさん のは ♪サルビアの花 も そうですが
(モトマロ等カバー)本人 歌唱ですと ♪からっぽの世界 のように
非常に 歌が 重くなりすぎて カバーされたほうが 逆に美しさや
ポップス度が増して名曲が多いようです。多分 本人(早川さん)は
重い方を 好んで 前面に出していたようですし、その後 引退し
本屋を営んでいて 十数年前に 再デビューし セルフカバー等
新曲も 含めて 音楽 活動 を 再開 しました。
※♪およげたいやきくん についての こぼれ話しは有名ですが
当時ドーナツ(シングル)盤は @400円ぐらいでしたから ミリオン
セラ―を 軽く超えてましたので 400円×1,000,000枚が4億円で
単純に 見積もっても その ○倍の売り上げで 子門真人さんは
多分 一曲レコーディングしていくらの 契約で ○万円ぐらいで
(公称450万枚) 塩化ビニールの材料費や紙ジャケット等の単価も
知れていますし 作詞作曲の 印税も もともと 子供向けの楽曲
でしたから そう高い 契約ではなかったはずですし スタジオ代や
スタジオ ミュージシャンなど 全部をふくめても原価は こちらも
低額だったようで 発売元のキャニオン(現在ポニーキャニオン)は
当時本社ビルをすぐ新築して 事業税等のからみで 固定資産を
収得し 償却減価等を含めて 節税対策に 努めたようです。
But 二匹目の ドジョーは なかなか でてきてませんね。
最近では といっても 十年以上前のお話しになりますが 東芝
の ヒッキーこと 宇多田ヒカルさん の セールス記録が 突出
していました。勿論 本人の 印税パーセンテージは 歌に作詞・
作曲の 三拍子ぞろい でしたから ♪オートマチックに かなり
戴いたようです。 (これは下衆の勘ぐりというものですね。反省 !)